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僧のゆく先

修行した日、しなかった日。
五十嵐敬憲
1976年2月26日正午、山形県酒田市にて生まれる。
大学で教員をする父とピアノ教師の母の一人息子で、お金持ちとまでは行かないがそれなりに恵まれた環境で育つ。
小学校では体育と図工以外の成績はかなりでき、よくいる田舎の神童だった。五年生になる頃から道を踏み外し始め、ある漫画の影響で「変態」や「個性」という言葉を好んでポリシーとして用いるようになる。流行や強いものや慣習、常識に流れて行く同級生や大人たちを見ながら、「ああ、世界を変えなきゃ」と漠然と思うようになる。
一方でパクリやオリジナルのギャグを振りまき、芸人志望のごときパフォーマンスを繰り返す。周囲からはこの頃、「神童」ではなく「紙一重の優等生」に見られていた気がする。そんなこともあってか、六年生の一時期いじめに会う。
三歳から母親にピアノを習うものの、大して上達せず。母親から「ピアノの才能はないよ」と言われる。中学になると母親からのレッスンもやめる。
小五の頃にチェロを始める。しかしこちらもあまりうまくならず。チェロは高校時代に市民オーケストラに入れてもらったのだが、今考えるとよく入れてくれたなあと恐縮するばかり。
中学入学後、世界を変えようと本気になって行き、文通コーナーを駆使し変な奴を全国から集める。数人の仲間と中二の時、『Revolution』という目的のわかりやすいサークルを結成。会誌を発行したりコミュニケーションを取りつつ、全国制覇、じゃなくて世界革命の勉強をし、その野望を淡々と育んで行く。一方で科学部部長などもやりつつ、とっても荒れていたヤンキー中学校でいじめにも会わず、とっても楽しい中学生ライフだった。そう言えば「校則をなくします」というかなりラディカルな公約を打ち立て生徒会長選挙に出て、惜しくも落選したこともあった。
高校になり地元や全国にさらに仲間を募りサークル活動は広がって行く。できたことは会誌作りと会合、幾つかの取材、が殆どではあったが自分自身は相当本気でやっていた。そのサークルにいたメンバーも面白い人間が多く、この面子がいれば世界を変えることもできると思っていた。そんな中、第一回地球サミットの影響もあり環境問題が盛り上がっていた中、高校生の環境団体SBWに出会う。出会った当時、既に大手新聞にも取り上げられていた関東のその団体の会合に参加。すぐに各地の高校生環境グループのネットワーク作りなどを担うことになり奔走。酒田に住んでいるくせに関東の方で副代表をやるなどかなり無茶をしていた。やがて通信教育のZ会でSBWが連載を持たせてもらうことになり、各地のメンバーらが持ち回りで環境問題のレポートを書くことになった。自分に二度回ってきた時のテーマは、「ジョンレノンと環境保護運動の問題点」「高校生による環境保護運動論、まとめと問題提起」だった。
そちらに力を入れ過ぎたせいかRevolutionの方はメンバーの脱退も相次ぎ自然消滅。仕方ないかと思いつつもかなり悔しかった。
大学に入り上京すると、環境系のサークルなどから幾つかの誘いを受けるが、団体で活動する行為自体が納得できなくなってしまい、そういった活動からは離れて行く。一方で『On the Earth 』なるコミュニティ誌を発行し、団体ではなく、多様な志を持った人の新しいコミュニケーションの場を作ろうとしていた。その頃、高校の頃から遊びでやっていた音楽を見つめ始める。そして「世界を変えるのは音楽かな」と思ってしまい、そのフィールドに足を踏み入れる。どっぷり音楽に浸かってしまい、ここからさらなる迷走は始まる。
音楽を自分の言語のように使えるまで三年かかった。そして使えるようになっても表現できないことは多かった。なかなか結果も出なかった。音楽の世界を取り巻く一部分に幻滅することもあった。新しい自分なりの哲学も発見できず、本質的な部分での自分に進化がなく苛立った。
しかしその間、Sと出会い、現在の教祖であるAに出会う。二人に振り回されながらも二人によって自分の力が引き出されるのがわかって必死で音をつくり彼女らの話を聞いた。
その後、ASは活動休止。asCent開始。それは十代の自分の夢の続きだった。世界を変えて行くツール。それは宗教ではない宗教だった。宗教と名乗っているが、何を信じ生きるのかを全て聞く側に委ねて行く方法。教祖が見つけた共鳴というやり方。やがて、十代で止まっていた自分の時間が動き出した。意味はないが頭を丸め僧として生きることにした。
asCent活動休止。一人になったが僧のまま修行して言葉を紡ぎ音をつくり続けた。やっと自分の言葉や思考や感覚に、歌詞が、音が追いつき始めていた。
ある深夜、元教祖からFAXが来た。連絡をとるようになり、やがてasCentがゆっくりと動き出した。

今、新しいasCentの宗教を設計、構築中。
世界が、欲にまみれエゴにあふれてもどうぞ幸せでありますように。

そんな風に仕向けてみようかしら。
                     2007.8